The Magic of Beads
マウリツィオ・ロッテルの軌跡

私とガラスのはじまり

2026年9月4日

1958年10月18日、私はヴェネツィアのムラノ島で生まれました。

生後まもなくヴェネツィア本島へ引っ越しましたが、小学生になると、夏休みには観光客を運ぶ叔父のボートでムラノ島へ通うようになりました。朝から夜までガラス工房に入り浸り、職人たちがガラスを作る様子を好奇心いっぱいで眺めていました。

800℃に達する炉から強烈な熱気が押し寄せ、真っ赤に熱せられた眩いガラスが、熟練職人たちの鮮やかな手さばきでどんどん形を変えていきます。魔法のような美しさと危険が隣り合わせで、怖いけれど目が離せない、魅惑の世界でした。

工房では「ガルゾネット(軽作業を手伝う少年)」として、職人たちの道具を運んだりしていました。かわいがってくれる職人もいれば、厳しい職人もいました。炉に近づきすぎたり、ガラスを作る工具の先端に触れたりすると、大声で怒鳴られることもありました。炉はとても危険だし、ガラスをつかむ部分に手の脂が付くと、工具が滑ってつかめなくなってしまうこともあるからです。

彼らの厳しさと優しさに守られながら、少しずつガラスに慣れ親しんでいきました。

職人たちは、仕事の合間にリフレッシュと称し、ワインにスプライトのような甘い炭酸飲料を混ぜた飲み物を飲んでいました。それを昼間から1~2 Lくらい飲みながら仕事をしているのです。それが彼らの日常でした。

中学卒業後、私は工房で観光客にガラスの作り方を説明するガイドのアルバイトを始めました。工房では「アッラ・プリマ」と呼ばれる方法で、馬やネコ、鳥など動物のガラス作品を作っていました。アッラ・プリマとは、一塊のガラスから、一回の作業で作品の形を作り上げる手法です。炉からガラスを取り出すと同時に胴体部分を作り、そこからガラスを伸ばしたり曲げたりして首や脚、尻尾を作り上げ、一筆書きのようにガラスを成形していきます。ただ、鳥の作品には目とくちばしがなく、それらは別の部屋でバーナーを使って作られていました。

ある日、職人から「観光客のガイドが終わったら、一緒に働いてみないか?」と声をかけられました。白鳥やサギなど、鳥の目とくちばしを作り、付けていく仕事です。初めてのガラス制作でしたが、1個あたり10リラ(当時の日本円で3円程度)の報酬をもらいました。作業は簡単で、1日2時間程度で200個以上作ることができました。1970年代の高校生にとっては、大きな収入でした。

こうして私は、ヴェネツィアンガラスの世界に足を踏み入れ、ガラスへの情熱が徐々に深まっていきました。

でも、この頃はまだ、ガラス職人になろうとは思ってもいませんでした。職人への道をたどったのは、それから15年ほど後のことです。


【参考文献】
『ビーズの魔法:ムラノと京都をつなぐガラスの橋』亥辰舎、2025年7月